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人気の福岡・西新エリアでのリフォーム・新築と元寇の歴史

2023年11月04日(土)

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福岡県福岡市早良区西新は、リフォームや新築のお問い合わせも多く、住みよい街として知られています。
西新エリアは、歴史的なスポットもあり、日本の歴史と現代の魅力が共存するエリアです。

そんな西新エリアの歴史的スポットにも関連する場所に、所属する福岡県中小企業診断士協会の研究会活動で訪れる機会がありました。

当日は、「福岡を知る」というテーマのもと、福岡市内の関連する場所を巡りながら、”元寇” についてその歴史を学びました。

 

まずは、元寇について簡単に振り返ってみたいと思います。

 

元寇とは?

元寇(げんこう)は、日本に対する蒙古(元朝)からの侵略を指す歴史的な出来事です。
元寇は、13世紀に二度にわたって起こりました。

 

文永の役(1274年)

この侵略は、モンゴル帝国のフビライによって指揮されました。
最初、フビライは、日本への使節を派遣し、日本国王を臣従させる関係を望んでおり、それが実現しない場合、武力行使による脅威を提示していました。
使節は6回ほど送られましたが、最終的には1274年、兵が派遣されることとなりました。
大軍を率いて日本への侵略を試みたフビライでしたが、幸運にも暴風雨(神風)が蒙古軍に大打撃を与え、蒙古軍は撤退せざるを得なくなりました。
この大風は日本を守る神風とされ、後の侵略から日本を守る象徴となりました。

 

弘安の役(1281年)

文永の役から7年後の1281年、フビライは再び日本に侵攻しようとしました。
この侵略は、15万人以上の兵力という大軍を伴って侵攻してきましたが、再び神風の助けに恵まれ、蒙古軍は撃退されました。
この出来事も神風が日本を守ったと信じられています。

 

続いて、当日訪問した場所をご紹介いたします。

 

銅像日蓮上人立像(福岡市指定有形文化財)

福岡県庁の目の前にある東公園。
実は、東公園の近くは、元寇・文永の役(1274年)の際に、日本軍と蒙古軍との戦闘が行われた歴史的な戦場なのです。
このような関係から、東公園は、元寇記念碑建設運動の中心地となったのです。

東公園には、写真のように巨大な銅像がそびえ立つ光景が広がっています。
写真は、日蓮上人の銅像です。
日蓮上人は、当時の最高権力者である北条時頼に対し、『立正安国論』を提出し、蒙古襲来を予言しました。
このエピソードに基づいて、元寇の古戦場である東公園内に日蓮聖人の銅像が建立されているのです。

 

福岡・西新の元寇防塁史跡とも関連が深い銅造日蓮上人立像

 

この銅像は、明治37年(1904年)に完成した青銅製の像で、福岡市の有形文化財に指定されています。
その重量は74.25トンで、高さは10.55メートルもあります。
この壮大なスケールには、圧倒されること間違いなしです。
さらに、日蓮上人像を支える巨大な台座にも注目してみてください。
台座には、日蓮上人と元寇の関係を描いた複数のレリーフが取り付けられています。

 

元寇の歴史を物語る銅造日蓮上人立像のレリーフ

写真のように、文永の役の際に蒙古軍が対馬の島民を攻撃する場面や日蓮上人の辻説法、「龍ノ口の法難」と呼ばれる出来事、日本軍と蒙古軍との戦闘の光景などが刻まれており、日蓮上人が蒙古の襲来を予言した偉大さだけでなく、元寇の経過についても学ぶことができます。

 

銅造亀山上皇立像(福岡県指定有形文化財)

日蓮上人像とともに、現在、福岡県指定の有形文化財となっているのが銅製の亀山上皇の立像で、同じく東公園内にあります。
亀山上皇は、鎌倉時代の正元1年(1259年)に第90代天皇として即位され、文永11年(1274年)に譲位、上皇となられました。
元寇の時、ご子息の後宇多天皇とともに伊勢神宮を訪れ、神前で「我が身を以て国難に代わらん」と自ら異国降伏祈願をし、未曾有の国難に立ち向かったと言われています。
この像は、台座を除くと高さが4.8メートルで、明治37年(1904年)に建立されました。
原型は高村光雲の弟子である山崎朝雲によって木彫りされました。

 

福岡市の東公園にある福岡県指定有形文化財の銅造亀山上皇立像

 

筥崎宮

当日は、筥崎宮にも訪れました。
筥崎宮といえば、野球の福岡ソフトバンクホークスやサッカーのアビスパ福岡、バスケットのライジング福岡などが、毎年必勝祈願に訪れていることで有名ですよね。
このように「勝運の神」としても有名な筥崎宮ですが、実はこのことも元寇と深い結びつきがあるようです。
文永の役で筥崎宮が兵火に遭った際、亀山上皇が「敵国降伏」の御宸筆を下賜し、国家安泰を祈り、必勝を祈願したところ、神風が吹き、蒙古軍が撤退。未曾有の国難に打ち勝ったことから「勝運の神」として知られるようになったそうです。

 

 

そして、この元寇と深い関わりのあるスポットが福岡市早良区西新にある「元寇防塁史跡」です。
当時、この辺りは、国境の要所であり、西新エリアには蒙古軍から日本を守るための防塁が築かれました。
元寇防塁史跡は、この歴史的な出来事を伝える場所として親しまれています。

今回は、時間の関係もあり、「元寇防塁史跡」には、残念ながら訪れることはできませんでしたが、ぜひ機会を見つけて訪れてみたいと思っております。

史跡を訪れることで、福岡の歴史と文化に触れ、現代の日本にもたらした影響を感じることができます。
そして、西新エリアに住むことで、この歴史的な背景に触れる機会も広がるのではないでしょうか。

 

現代の西新エリアの魅力

歴史と現代の融合

西新エリアは、福岡市内の中でも住みよい場所の1つで、その魅力は歴史的な遺産と現代的な暮らしを結びつけた点にあります。
西新エリアには、新しい生活を始めるうえで理想的な環境が整備されています。
西新エリアは、福岡県福岡市早良区に位置し、多くの人々にとって魅力的な住居として愛されています。

 

便利なアクセスと充実した周辺施設

西新エリアは、アクセスも非常に便利です。
西新駅をはじめとする駅や公共交通機関の路線が充実しており、利便性が高く、通勤や通学もスムーズです。

また、西新エリア周辺には、ショッピングモール、スーパーマーケット、商店街などが充実しており、日常の生活に必要な施設が徒歩圏内に豊富に揃っています。
そのため、日々の生活で便利さを感じることができ、暮らしをより豊かにすることができます。
西新エリアは、暮らしに必要なすべてを提供してくれる場所と言えますね。

 

西新エリアでのリフォーム

自分好みの住まいを実現

西新エリアで新しい生活を始める際、リフォームは魅力的な選択肢の一つです。
新築のマンション、アパート、一戸建て物件が多く存在しますが、リフォームを通じて、自分の好みに合った住まいを実現することも可能です。

リフォームの選択肢は多岐にわたります。
新築の物件を自分好みにカスタマイズしたり、古い建物をリノベーションして現代的で快適な住まいに変えたりすることが可能です。
間取りや部屋の面積、設備などにもこだわり、自分の生活スタイルに合った選択をすることが大切ですね。

福岡の西新エリアでは、リフォームに対応した物件が多くあり、自身の生活スタイルに合わせて選択することができます。
リフォームを通じて、歴史と現代の魅力が融合した未来の暮らしを創り出しましょう。

永本建設では、西新エリアでもあなたの理想の住まいづくりをサポートいたします。

 

 

永本建設の事業内容はコチラからご確認いただけます。

また、コチラの記事では、リフォームの相場についても、解説しています。

 

おわりに

東公園や筥崎宮は、これまでに何度も訪れたことのある場所でしたが、このような歴史的背景については、ほとんど知りませんでした。
今回、改めて、元寇について学び直し、ゆかりの地を巡ったことで、新たな学びと気づきを得ることができました。
地元だからこそ気づいていないことも多くあることを再認識いたしました。
これからも福岡のそれぞれの地域の歴史や魅力をどんどん学び、感じていきたいと思います。

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